「おーい! 梅田! みんなで飲みに行くぞぉ!」
田辺課長が、英語でアシスタント・ディーラー達に言っている。
“Go downstairs! Go to REIDY's!”
(下の階に行くぞ! レイディースにいくぞ!)
もちろん“R”と“L”の発音が違っているのだが、「レイディース」は「貴婦人・淑女」の意味ではなくて、人の名前だ。
「レイディーさんの店」は、丸和信託ニューヨーク支店の入っているオフィス・ビルの3階にあるショット・バーだ。
丸和信託のオフィスは、ニューヨークの摩天楼の一画で、五番街(フィフス・アベニュー Fifth Avenue)とマジソン街(Madison Avenue)に挟まれたミッドタウン(Midtown)にある。 |
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俺たちのディーリング・ルームは24階にあるのだが、便利なものだから、何かしら事があるたびに3階のレイディースに集まる。
今日もドル・円の取引で大変だったので、軽く飲んでから帰ろう、といった意味合いだ。
ニューヨークは東京と比べて飲み代が安い。
生ビールが一杯2ドルくらいだから、チップを入れても10ドルもあれば結構飲める。
東京のように無理につまみをオーダーしなくてもよい。
つまみはサービスで出してくれるナッチョス(三角形のメキシカン・スナック菓子)で充分だ。
そんなに遅くまで飲むわけではではない。
「クイック・ドリンク」だから、7時頃から三々五々帰る。
8時にはお開きになって、飲み足りない日本人が二次会に行くことになる。
5時半頃から飲み始めたのだが、俺は相場が気になって仕方がない。
この当時には、携帯可能で相場情報を時々刻々と伝えてくれる「ポケット・ロイター」はない。
携帯電話もまだ普及していない。
相場の水準を知りたければ、ディーリング・ルームに戻ってロイター・モニターを見るか、開いている市場に直接電話をして聞くしかない。
ニューヨークが夕方の6時なら、東京は朝の7時だ。
いつもなら、まだ東京のディーリング・ルームにはディーラーが揃っていない時間だが、今日はさっき俺が連絡したから、何人かはもう来ているはずだ。
「田辺さん・・・・・。
俺、気になるから、ちょっとディーリング・ルームに戻って様子を見て来ます・・・・・。」
「なんだぁ・・・・・。 梅田行っちゃうの・・・・・。
お前、熱心だねぇ。」
「はぁ・・・・・。」
「梅田がロイター・モニターを見つめても変わらないよ、相場は。」
「はぁ・・・・・。」
「ポジションはスクエアーなんだろう?」
「はい。」
「じゃあ、見たってしょうがないじゃないか。」
「・・・・・。」
そりゃぁ田辺課長の言う通りだ。
俺が相場の動きを眺めていようといまいと、何の影響もないだろう。
でも、普通の邦銀の課長は、こうは言わないと思う。
自分の部下が熱心に仕事をするのを、褒めてくれるものだ・・・・・。
それに、今日のニューヨーク市場で、20億ドルも買ったのは我々なのだから、その後の動きが気になるのが当たり前だと思う。
ましてや、『見たってしょうがないじゃないか』とは言わないだろう・・・・・。
「田辺さん、俺、適当に見て、東京に電話をしたら、戻って来ますから、ここでみんなと飲んでいて下さい。」
「あぁ、いいよ。 行っといで。」
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